無力感と卵焼きとお風呂
トルコ地震、ひどい被害になっていますね。
東日本大震災の被害者数を超えたという
ニュースを見ました。
1日も早い救出、支援が出来ますように✨
私の阪神大震災の備忘録
つづきです。
震災当日の夜
胸がザワザワして外に出ました。
電気がない街の夜
真っ黒な世界
でも、目の前には商店街のアーケードの向こう側に
赤赤と燃え盛る炎
初めてみる大きな炎に
やめてー
と、叫びたくなりました。
(👆は写真集のものです)
避難所にはもちろん水がなく、窓についた結露を触っては
『水やぁ』と喜んでみたら…
そして、当然トイレは
大惨事になっていました。
が、ここでも、幸運が✨
プールの水が残っていて、それをバケツで運べば
なんとか処理ができたのです!
飲み水よりも、生活用水の方が大変でした。
私たちは医療系の学校に行っていたので、
避難所にある保健室で何か手伝って来いと
親戚に言われ、
4〜5人で保健室へ…
しかし、なんの技も持ち合わせていない
私たちは立ち尽くすだけで、
指示を待つだけ…
結局、なんのお手伝いもできませんでした😢
無力感
今でも、あの時、何か出来たんじゃないかと
後悔することがあります。
指示待ち妖怪のヘッポコ学生たちには、
何も出来ませんでした。
3日後くらいでしょうか
短大の同期が車で大阪・奈良方面まで
車で送ってくれると言ってくれました。
電車は壊滅状態、動くメドもたっていなかったので、
神の声✨
父に車で迎えに来て欲しいと頼んでみたものの
「行けない」と
悲しさいっぱいだったので、
この友人に甘えて、送ってもらうことにしました。
そこで初めて知ったことは、
車で少し走るだけで、被害が少ない場所があるということ(明らかな建物の倒壊などがないという意味)
活断層から離れていれば、建物の倒壊までは
免れているところがあるんだなと
わかりました。
車の中では、友人のお母さんが
車に乗り込んでいる私たち3〜4人のために
お弁当を作ってくれました✨🧡
一口大に切られていない
板状の卵焼きは、ほんのり温かくて、
めちゃくちゃ美味しくて、感動しました✨
この時に食べた卵焼きが、私の人生では
記憶に残るサイコーの卵焼きとなってます。
山を越え、なんとか実家に戻り
アゴまで浸かった湯舟が
身体に染み込んだことも
きっと一生忘れないと思います✨
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